不正の疑いを識別した場合にはどのように行動すべきであろうか。不正対応やリスク管理の教科書は「声を挙げるべき」あるいは「十分な事実調
査を行うべき」と教える。しかし、実際にどれだけの人がそのような行動を起こすことができるであろうか。
他の組織の不正事例を取り上げて、「不正の可能性を示す端緒が表れていたのに、なぜあの組織はその時点でそれをつきつめなかったのだろうか」
などと議論されることは多い。多くの場合、マスコミの論調も同様である。
しかし、不正事例を「後講釈」することは簡単である。過去の不正事例等からは、実際にその事件の渦中にいた場合に、冷静な決断を行うことので
きる人や組織はそれほど多くないことがわかる。
不正は当初は小さなものに映ることが多く、不正の端緒だけでは不正の全貌を推し量ることは難しい。また、不正の疑いを感じたときに声を挙げることや真の意味での事実調査を行うことは大変な勇気が要るものである。不正の疑いがもし事実であった場合には、不正の関与者のみならずその周囲の人たちへの影響ははかりしれない。上司や周囲の人たちにも責任追及が及ぶことがありうるだろう。場合によってはマスコミに大きく報道されて、組織の存亡に関わる問題となるかもしれない。自分の行為によって、他の人たちや自分自身の人生を大きく変えることになるかもしれない。
自分はそのような引き金を引くべきだろうか。もしこのままの状態を続けることができるのであれば続けたいとも考えたりする。一方、勇気をもって行動を起こしたとしても、実際に不正が見つからなかった場合には、組織をかき乱したことについて自分は責任を負えるのかとも考えてしまう。
冷静に考えれば、不正が事実であった場合の組織へのダメージを最小限に食い止めるためにも、不正の有無について早期のうちにはっきりさせることが最善の策であることがわかる。
しかし、上述のような葛藤のもとで、人は正常な判断力を失ってしまう。例えば、組織の存続を最優先に考えるあまりコンプライアンスやその他の社会的な責任を二の次にしてしまったり、ちょっとした事実(その部門の過去の内部監査での指摘がない事実や誰かの「大きな問題ではないのではないか」という発言など)を過度に重視してその可能性に賭けたりする。あるいは、決断を下すことができずに結果的に問題を先送りにする。たとえ集団で議論したとしても同様のことが生じうる。むしろ、集団的な意思決定プロセスでは、有事の際に決断力の欠如の弊害が目立つようにもなる。
しかし、いったん問題を先送してしまえば、次により大きな問題として顕在化するか、あるいは、より信憑性のある情報が表に出るまで、行動を起こすきっかけを失ってしまうのである。
それでは、組織として不正の疑いに対して必要な行動を起こすためには何が必要だろうか。いままでの議論から、単に個人の勇気や判断に期待するだけでは十分ではないことがわかる。
例えば、有事の際に自らを律するものとなるように、組織として不正の端緒を識別した場合の対処方針や手続をあらかじめ定めておくことは有効であろう。また、不正事例を題材とした研修等により経験を共有しておくことも有効であろう。とりわけ「あなたが渦中の人であればどのような行動を行っていたか」を問うような疑似体験型のケーススタディは有効である。あらかじめ有事の状況を擬似体験しておけば、本番の状況においても判断力の低下を自覚できる可能性は高まる。
さらに、不正の疑いが生じた際に独立的な不正対応の専門家を関与させることは有効である。不正対応の専門家は、当事者たちが判断力の低下に陥ったとしても、客観的な視点から状況を分析し、的確なアドバイスを提供してくれる。このような不正対応の専門家として公認不正検査士 (CFE) の有資格者が最適であることはいうまでもない。
有事の際に思考停止に陥らないためには、平時の備えが重要である。最終的には個人の勇気に依存する部分も否定できないが、必要な時に勇気を持った決断ができるように平時のうちから有事を想定して対応を検討しておくべきであろう。
京都監査法人 パートナー
公認会計士 ( 日本・米国 )、
公認内部監査人、
公認管理会計士、
公認不正検査士
ACFE JAPAN 理事