企業をはじとする組織の不正が絶えない。昨年、金融界ではインサイダー取引が相次いだほか、メガバンク行員による貸金庫をめぐる巨額窃盗事件や、大手証券会社員による強盗事件は社会に大きな衝撃を与えた。他人の資産を預かる金融界は本来、不正はおろか、ケアレスミスすら許されない業界。不正はどのような組織、業界においても「今そこにある危機」の様相を呈している。
どうしたら不正は防げるのか――。わが国唯一の不正対策機関、日本公認不正検査士協会(ACFE JAPAN)の岡田譲治理事長(元三井物産副社長CFO=最高財務責任者、日本航空社・NEC社外取締役)が、ビジネスシーンで活躍する公認不正検査士(CFE)のフロントランナーの素顔に迫る本企画。
第2回は、経費精算システムを提供するMiletos(ミレトス、本社=東京・銀座)社長の髙橋康文氏。特に注目されるのが、精算システムにAI(人工知能)を使って経費申請に潜む不正や間違いを自動的に検出するプログラムを組み込んだことだという。
横浜国立大学卒業後、74年三井物産入社。2014年代表取締役副社長執行役員CFO(最高財務責任者)、15年6月常勤監査役(~19年6月)、17年11月公益社団法人日本監査役協会会長(~19年11月)。23年6月一般社団法人日本公認不正検査士協会(ACFE JAPAN)理事長
このほか、太陽有限責任監査法人経営評議会委員、日本航空社外監査役、金融庁スチュワードシップ・コード及びコーポレートガバナンス・コードのフォローアップ会議メンバー、日本取引所自主規制法人外部理事、日本電気社外取締役などを務める。
公認不正検査士(CFE)
横浜国立大学卒・同大学院修了。新卒でアクセンチュアに入社しハイテク、メディア、製造業を中心としたクライアントへのコンサルティングに従事。シニアマネージャーを経てMiletos株式会社に参画。財務/経理領域を中心としたプロジェクトを多数支援し、AI活用・プロセス改革を含めたDXを得意とする。公認不正検査士。SaaS to AI SaaS / SaaS to SaaS Evangelist
ミレトスは、経費精算システムに不正防の機能を組み込んだ製品を開発し、すでに大手企業への導入実績もあると聞きました。どのようなものですか。
2019年に「SAPPHIRE(サファイア)経費精査」という製品を開発して販売を始めました。簡単に言うと、経費申請の内容をチェックするためのシステムです。
従業員が申請した経費精算データをもとに、重複申請や不適切店舗の利用、人数の水増しなどを事後的にチェックするAIで、百種類以上の不備・不正を検知することができました。しかし、経費の利用後にチェックをするというプロセスでは、差し戻しなどの手間が増えてしまうという状況があり、そこで23年に「SAPPHIRE 経費精算」をローンチしました。
経費精算のシステムは多くの企業が提供していますよね。
他社の経費精算システムとの違いは、経費申請データを作成する時点でAIによる事前チェックが入る点です。レシートからAI-OCR(人工知能を搭載した光学文字認識)で申請データを作成したり、クレジットカードや交通系ICカードから自動的にデータを取得して申請データを作成したりするなど、申請作業の負担を軽減するだけではなく、その時点でAIが不備・不正のチェックをします。
チェックのためには、オフィスへの入退館情報やシフト情報など、経費以外のデータを活用します。それによって経費の実在性が担保されますし、法令や会社ごとの規定に即しているかもAIがチェックしていますので、管理職の承認作業を省略することも可能になります。
製品の最大の特徴は、不正を検知するAIをベースにつくり込んだ経費精算システムであるということですね。今は、経費の申請前に予防的なチェックをするところまでAIを組み込むことができました。今年は、二重申請や、不適切な店舗の利用、カラ出張、虚偽のタクシー利用など、「SAPPHIRE 経費精査」の時代に検知していたさまざまな不正や間違いを事後的にチェックする機能の搭載を目指してします。
ミレトスが提供したいのは「人に罪をつくらせないシステム」なんです。
経費って不正が多い領域ですよね。私も経理担当だったので、痛感します。例えば、「接待」という名目で参加人数10人で総額10万円をとある飲食店で使ったという伝票が回ってくる。ところが、その店を調べてみると、1人1万円ではとても済まない価格帯の店だったとか……。
ただ、私たちがやっていたのはあくまでもサンプリングであって、たまたま見つかる程度だったと思います。サファイアのようにAIを使えば、すべての伝票を見ることができるわけですね。
経費というのは、企業の売上高から見ると1%にも満たないものです。ただ、私たちは「割れ窓理論」を前提に物事を考えています。
あのニューヨーク市長で有名な割れ窓理論ですか?
そうです。1994年にニューヨーク市長に就いた検事出身のルドルフ・ジュリアーニ氏で有名になった考え方です。80年代に入り、ニューヨークは極端に治安が悪化し、観光客が近寄らないエリアが至るところにあるような街になりました。重大な犯罪もさることながら、建物の窓ガラスは割れ、街中には落書きも多い。そうした軽犯罪も横行していたと言います。
そうした中で軽犯罪でも厳しく取り締まり、割れた窓ガラスも放置せずに随時入れ直してきれいにしておくと、重大な犯罪率も下がって治安も良くなるという理屈です。実際、これでニューヨークの治安は相当回復しました。
企業などの組織も同じで、小さな不正を放置していると、結果的に大きな不正が起きるもの。そんな思いをこの製品に込めました。製品名のサファイアは、最も硬いガラスと言われます。石言葉も「誠実」です。
きっかけはどんなことだったのですか。髙橋さんはもともと、コンサルティングファームのアクセンチュアに勤務されていたという経歴ですよね。
大学卒業後にアクセンチュアに入社しました。そこで、顧客でもある多くの大手企業がコーポレートガバナンスやコンプライアンスのことを真剣に気にかけていることを知りました。
ただ、内部統制のレベルを上げることは、実務的には社員や会社にとって負担になります。しかも当時は、経費の申請や承認も紙ベースで、担当者が一つひとつチェックしていました。それどころか、二重にチェックを実施している会社さんもありました。
一方で、会社によっては、規定に反するような請求でも、実力のある“声の大きな人”が半ばゴリ押しで申請を通すようなケースも見聞きしました。私は、このような作業は人間ではなく、まずはAIに任せるべきだと。そうすれば、内部統制のレベルを維持、向上しつつ、経理処理業務の効率化にも資することができるのではと考えたからです。
ミレトスっておもしろそうな会社ですね。
ありがとうございます(笑)。弊社は2016年6月の創業で、革新的なものを社会に送り出すという目的で立ち上がりました。ちなみに、「ミレトス」とは古代ギリシアの都市のことで、“哲学の祖”とも言われるタレスが住んでいました。創業者は、会社をタレスが住むミレトスのような場所にしたかったようです。
私は3代目の社長で、初代はVR(仮想現実)にチャレンジし、2代目は今のZoomのような同時接続型の会議システムの開発に取り組みました。ただ、この会議システムの構想は新型コロナウイルス禍の前というタイミングで、少し早すぎたのかもしれません。
ところで、サファイアはどのくらいの会社が採用していますか。
生活用品の大手企業さまがグループで採用してくださったこともあり、現在は約20社です。
AIをベースにしているところが特徴なのですね。その利点をもう少し教えてくれますか。
コロナ禍が収束して、企業の経費精算がまた増えてくる中で大きな変化がありました。コロナで普及したリモートワークが日常化したことです。こうなると、本社の管理職は、従業員がどこで何をしているのか、すぐには把握できません。
また、大企業を中心に経理や総務、人事といった間接部門を集約化、あるいは外注化させるシェアードサービスがより盛んになっています。コスト削減には効果がありますが、派遣社員を3年程度で交代させるケースも多く、経理部門で言えば、経費処理のノウハウが組織内に蓄積されない事態も発生しています。
これまでは経理担当者が、この人は出張が多い、あの人は交際費が多い……といった具合に、申請する人の属性を感覚的に把握していましたが、リモートワークやシェアードサービスの普及によって、申請されてくる経費が正しいかどうか判断できなくなっている。そもそも(経費の承認を行う)上司が直感的に不正や不備に気づくこと自体が難しくなってきたと言えるでしょう。
こんな時代にこそAIを使うべきなのです。例えば、経費を使った日と出勤データを照合することで不自然な点を自動的に炙り出します。あとになって不正を探すのではなく、事前に、もしくは早い段階でミス、そして不正の芽を検知し、知らせる仕組みが構築できます。
AIは強力な武器になると思いますが、人間である従業員はどのように関わるのでしょう?
AIは24時間チェックできますので、内部統制のレベルを維持しながら、業務の効率化につながります。これまでは人が人をチェックする時代だったと思いますが、これからは人がAIによってチェックされたり、フォローされたりする時代になります。
じゃあ、人はいらなくなる?
そんなことはありません。制度やシステムを考え、それをつくり出すのは、あくまでも人間です。そのシステムを普及させ、実際に利用する役職員に内容を説明し、納得してもらう必要があります。こうした業務は、一定の知識や知見、知恵がある人でないとできません。
そういう点で、公認不正検査士(CFE)は時代に合った資格だと思います。CFEで得た知識のベースがあってこそ、AIをベースにしたシステムを使いこなせるからです。
そもそも髙橋さんはどんなきっかけでCFEになろうと思ったのですか。
以前から体系的に不正とその防止策について学びたいと思っていました。いろいろと調べて、CFE資格を見つけました。資格取得の過程では、会計や法律などもさることながら、不正を実行する人間の心理的な側面も学ぶことができる。また、対外的に明示できる資格という点も魅力でした。
ただ、簡単な資格ではなく、実は恥ずかしながら、1度、落ちました。
メリットはありましたか。
正直、CFE資格があるから商談が有利に運ぶということはありませんが、総務や経理、人事などのシェアードサービスに携わる人たちはみな取得すべきだと思いますね。
いざというとき、これらの部門の人たちは、顔も知らない相手(社員)に対して不正かどうか判断しなければいけません。申請された経費書類が正しいかどうか見抜く力が必要です。CFEはその素養になります。「不正のトライアングル」(動機・機会・正当化)だって、CFEがなければ学べなかった。不正を防ぐには、まずは組織側が「機会」をなくすことだと感じています。
従業員が組織の中で不正を働いてしまう典型的なパターンがあります。1人に業務全部を任せてしまうことです。実は管理職からすれば、そのほうが楽なのです。ところが、その担当者がほんの出来心で、小さな不正をやっちゃう。それがバレずにうまくいってしまう。こうなると、もう歯止めが利きません。
最初は小さいものだったのが、だんだん大きな不正になっていく……。とはいえ、発端は1人に業務を任せきりにしていたこと、つまり、組織の側が不正の機会を提供してしまったのですね。
経費不正を予防するには何をすべきなのか。ぼくたちも我流でやってきましたが、やはり、不正の機会をつくらないようにすることです。だから、(経費を申請する際に)自分がされたらイヤなことをチェック項目として挙げ、経費精算システムに実装していくという作業を積み重ねてきました。
先ほども話に出ましたが、思いのほか高くついた会食の領収書を通してもらうために、人数を水増しして1人分の金額を低めにして提出するとか、こういったことを出来ないようにしてしまおうというのがサファイアの考え方です。
京セラ創業者の稲盛和夫さんが、「不正をしようと思っても出来ないシステムにしておけば、人を罪人に陥れることにならいはずだ」と言っています。まさにその通りです。
人間が“弱さ”を出せないようにしてしまう?
人間っていうのは、時と場合によって弱い生き物だと思います。ぼく自身もそうです。例えば、コンビニでの買い物。5000円札を渡したのに、お釣りが1000円札で5枚返ってきた。それをレジカウンターで気づいたら、多分、みなさん、返しますよね。では、財布に札を入れながらコンビニを出るタイミングだったら、どうしますか。それでも、「1枚多いですよ」と引き返す人も多いでしょうか。
それが、タクシーに乗ってちょっと走らせてから1000円多いことに気づいたとしたら、いったい何人の人が引き返すでしょう? 自分で考えてみても、「渡した人が悪い」と思いますよね。これが不正かどうかは別として、不正のトライアングルで言えば、「正当化」ですよね。
結局は、間違ってお釣りを渡すという機会をなくすことが大事だと思いますが、機会も正当化もいろんなところに転がっていて、果たしてどうすればいいのか。CFEをとらなければ、こんなことは考えなかったと思います。
ところで、サファイアを導入するのは大企業ですか。それとも中小企業ですか。
これまでの営業で分かったことがあります。私たちは「中小企業のほうが不正が多いのでは?」という仮説のもと、サファイアを最初、中小企業向けに展開しようと思いました。中小企業のほうがリスク対応やコンプライアンスにかける資源が少ないと考えたからです。
ところが、従業員が100名以下の会社は、社長が常に経理を厳しく見ていました。目が行き届くのですね。だから、中小企業には大きな需要はありませんでした。100名から500名ぐらいの会社は必ずしもチェック体制は十分ではないと思いますが、意外になかなか導入してくれません。やはり、1000人以上の大きい会社は効率化と不正防止という観点で検討いただけることが多いという現在の印象です。
サファイアにはいろんな可能性がありそうですね。
ありがとうございます。これは言いにくい話ですが、ある企業の人と話をしていて、怪しい経費処理など、不正を働いていると疑われる人が一定数いると聞きました。特定の人物を重点的にAIが調べることも、企業全体のコンプライアンスレベルの底上げにつながる可能性があります。
また、経費精算だけでなく、最近、M&A(合併・買収)が流行っていますが、デューデリジェンス(資産査定)のとき、買収先企業で不正が行われていないかという視点も必要だと思っています。知らずに“ヤバい会社”を買ってしまうことは避けたいところです。割れ窓理論を前提として、取引先との関係もチェック項目にあるべきだと考えています。
最後になりますが、ACFEに望むことはありますか。今回のインタビューの趣旨は、CFEの資格保持者がもっとコミュニケーションをとって、こんなふうに不正の知見を活用しているとか、こんなことが出来るのではないかと、情報交換を進めたいと考えたからです。
不正の形態は時代によって変わってくると思っています。私は北海道の出身なのですが、子どもの頃、駅員が切符を目視で確認していました。キセルもたくさんあったと思います。それが交通系ICカードの普及で、単純なキセルはほとんどなくなったのではないでしょうか。技術が不正を防止した一例だと思います。
そのような時代だからこそ、「AI時代の内部統制」といったテーマに関心がありますね。特に大手企業がどのような体制をとっているのか、情報交換の機会があれば、今後の参考になると思います。
ACFEには研究会制度があります。関心のある人が「この指とまれ」と新たな部会を立ち上げれば、会員の輪が広がり、不正の防止にもつながると思いますね。
おっしゃる通りで、私たちは事後的に不正を検知したいとか、不正を働いた人を捕まえたいと思っているわけではなく、出来れば、そういったことを未然に防ぎたいのです。
経費の不正や不適正な申請もそうですが、もっと大きな視点で言えば、今、大企業に求められるのは、児童労働をさせているような人権に反する企業や、反社会的勢力と関係するような会社と取引していないかというチェックが求められます。そうしないと、いつのまにか不正に巻き込まれてしまう時代なのです。
大企業にとっては、事業損失で計上する金額よりも、レピュテーション(評判)リスクのほうがはるかにインパクトが大きいはずです。特にこの数年、不正の概念や範囲が広がっており、人の力だけでは対処できないという思いを強くしています。そうした不正に関わる総合的な問題を会員のみなさんたちとACFEで学びたいですね。
その通りですね。本日はありがとうございました。