ローレンス・フェアバンクス(Lawrence Fairbanks)は、人気と尊敬を集める大学職員だった。しかし彼には、高尚な芸術品を入手してその代金を雇用主に請求するという悪癖があった。以下に、大学の監査部がどのように彼の犯罪を調査し、「フェアバンクス・コレクション」を閉鎖するに至ったかについて述べる。
もしも人の名を一つの形容詞に替えよという法律があったとしたら、ローレンス・フェアバンクスの名は「コスモポリタン」になるだろう。やせ型で背は高め、45歳のローレンスは、イソップ大学(Aesop University)のコミュニケーション学部副学長補佐(assistant vice chancellor of communications)という、大学内で最もきらびやかな学部の最も華やかな役職に就いていた。大学界という広大な海を、ローレンスの船は講堂や実験室、そして毎週開かれる友愛会(Fraternity)の酒宴を避けて航海していった。おそらくローレンスは、教授はおろか、学生など一人も出会ったことはなかったのではないだろうか。代わりに、彼の船はメディアと広報の海原を進んでいった。ローレンスの仕事は、印刷所から出てくる有りとあらゆる雑誌・新聞・パンフレットに大学の良い面が必ず特集されるよう取り計らうことだった。1
コミュニケーション学部の副学長補佐は、ローレンスにぴったりの役職だった。イソップ大学は彼を著名な雑誌王国から抜擢したが、その成果はよく現れていた。出版界における20年の経験を持つローレンスは、大学に代わって受賞作品を作り出す作家・編集者・写真家・グラフィックアーティストの専門的信頼と個人的称賛を勝ち取った。
ローレンスはさらに、芸術に精通した文化的カリスマ性も身につけていた。彼の知識と趣味は、「ジェパディ!(Jeopardy!)」(米国の人気クイズ番組)や「トリビアル・パスート(Trivial Pursuit)」(クイズ形式のボード・ゲーム)で出題されるような良く知られた作品をはるかに超えるものだった。ローレンスは20世紀初期の白黒写真に魅惑されていた。また彼は、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロンドンの主流ではないが有力な技芸家のオリジナル油彩画や陶芸品に精通していた。ローレンスの興味は、古書から初期のカメラ、古い薬屋の品々や汽車旅行用かばん、玩具など、あらゆる骨董品にまで及んだ。彼はさらに、博物館で見かけるような時代物の家具にも傾向していた。芸術がローレンスの人生の全てだった。
コミュニケーション学部のクリエイティブ・スタッフのローレンスに対する高い評価は、彼に直属する事務職員も同調するところだった。エリートの言語に堪能であっても、ローレンス・フェアバンクスはスノッブではなかった。彼は会計係や事務アシスタント、受付の職員をいつでも下の名前で呼び挨拶した。クリスマスには食事会と一年先まで予約の埋まっている新しい博物館のツアーを企画し、学部の職員全員を招待した。
ローレンスの友好的でおおらかな性格は大学の同僚を慕わせ、メディアと芸術の世界の学者層や上流階級を感心させた。30代後半まで待ち、美しく聡明な妻まで手に入れたローレンスは、いまや6歳のルーシー(Ruthie)と3歳のボビー(Bobby)の父だった。熱心な芸術鑑定家が、オフィスの机の外側を二人のクレヨンの巨匠のためのミニギャラリーにしていたことには、ほろりとさせられた。
ローレンスの妻アリソン(Allison)は中堅企業の顧問弁護士として働いていた。二人の収入は25万米ドルを超えたが、彼らの住まいは質素なものだった。有り余る富を抱える都市の中で、フェアバンクス一家は著名な住民よりも著名な文化施設に隣接していることで知られる地域にあるごく普通の家で暮らしていた。周りの家と同じ様式の、第二次世界大戦前に建てられた下見板張りの家は、一階建てで寝室は3つ、バスルームは1つだった。居心地の良いその家は、外から見た限りアメリカンドリームを生きているような4人がやっと暮らせる程の大きさだった。
しかし、ローレンスの人生は彼の妻や子供、仕事が全てではなかった。彼の芸術への情熱の注ぎ方には、知られざる一面があったのだ。普通芸術への情熱と言った場合、人は心を楽しませ豊かにする趣味を思い描くだろう。最も大事にしている作品は、普通家族と楽しむものだ。
普通だったら。
外向的な人ほど、最も内なる心を隠すという。内なる心を省みることは一般的だが、恥に駆られた特定の物に対する密かな欲望は、「執着心」と呼ばれる。ローレンスの芸術に注ぐ愛の深さや、それを得るために彼がどれほどのことをし、そのことを隠し、挙句の果てには自身の情熱を満たすために雇用者や供給業者を騙していたことは、彼の妻でさえ知らなかった。
ローレンスの魂を枯渇させた芸術は、同時に彼の不安な心を潤わせた。
芸術がローレンスの人生の全てだった。
様々な顔 (THE FACE OF MANY)
州立大学群の中で最も大きいイソップ大学は、アイビーリーグに劣らない存在感を誇る。1871年に州立教育大学(state teacher’s college)として創立された同大学は、学問・研究・地域奉仕活動の面において世界的評価を受けるまでになった。
控えめに言っても、イソップ大学は思いつく全ての分野の主要人物を世に送り出し、また惹きつけている。大学の本屋で売られるオレンジとワインレッドのトレーナーには、「様々な顔」と訳される”Omnibus Punim”というロゴが入っている。イソップ大学の卒業生名簿には、著名な俳優やオリンピック選手、最高裁判所の裁判官が一名にノーベル賞受賞者数名が名を連ねる。同大学の医学部は、最も絶望的な病状に対する新しい治療法を開拓し、同学部の医師は貧富を問わずみな平等に看病している。
イソップ大学の入学者数は、学部・大学院・プロフェッショナルスクール(professional schools)を合わせると、常に3万5千人に達している。このマンモス大学を運営するのに、同大学は2万5千人を超す職員および教授を雇っている。さらに、米国三大都市の一つの中でも最も地価の高い地域にあって、この優秀大学の5百エーカーのキャンパスは個別の郵便番号を持っているのだ。同大学のアメリカンフットボールチーム「サンダリング・バ イソン(Thundering Bison)」のおかげで、このセレブ大学は11時のニュース番組で頻繁に取り上げられている。そして何より、イソップ大学の30億米ドルの予算は常に州議会の議論の的となっている。
イソップ大学のビジネスやテクノロジーの専門家は、この伝統の染み付いたおじいちゃん大学を情報化時代へと根気よく導いてきた。おじいちゃんがレコードプレーヤーをCDプレーヤーに取り替えたように、穏やかに、しかし着実に促され、イソップ大学はようやくマニラ・フォルダーやマイクロフィルムを使った古い記録保存システムから、「オンデマンド」のコンピュータ世界へと移っていった。
1990年代半ばまでに、同大学の調達・支払勘定システム全体がコンピュータ化された。ログインIDとパスワードを入力するだけで、権限のある職員はすぐに大学のどの学部の財務取引でも見ることができる。さらにいくつかのボタンを押せば、どの職員が調達申請書を入力して大学の中央支払勘定部(central accounts payable department)に送信したかも確認できる。そこには大学発行の小切手の整理番号や、小切手が振り出された日付も書かれている。小切手がU.S.メールでベンダーに送られたのか、支払い申請を行った学部にいったん送り返されたのかさえ分かるのだ。
イソップ大学のように多数の部署から成る事業体は、支払いが効率よく慎重に行われるよう心がけなければならない。このことから、支払勘定システムの合理化に伴っていくつかのセキュリティ対策も講じられた。その1つが同大学の調達方針だ。中でも特筆すべきは、支出限度額を定めた方針である。
イソップ大学の「小額(low value)」調達委任方針は、中央調達部(Central Purchasing department)の承認なしに1つの学部が1日に特定のベンダーから調達できる額を制限している。限度額を超えると、MAD(Materiel Acquisition and Disbursement, 資材調達および支出)自動システムがその学部の調達申請を停止し、中央調達部へと転送する。
つまり、1日に特定のベンダーと2,500米ドル(プラス税金および送料分の余地)を越える取引があった場合、中央調達部が自動的にその注文を制御することになる。これにはもちろん、公立大学であるイソップ大学が市場で最良の取引を確保し、数多くの州・連邦法を遵守していることを確認するためなど、様々な正当な理由がある。
オスロ・ダウン社(Oslo Down company)から2,984.32米ドルのバイキング語翻訳ガイド(Viking Translation guides)を発注したノルウェー詩学部(Department of Norwegian Poetry)の会計アシスタントは一体何を考えていたんだと、腕を組み、貧乏ゆすりをしながらあざ笑う中央調達部の職員の姿が目に浮かぶようだ。そのような発注には、あざ笑う貧乏ゆすり人間からノルウェー詩学部の会計アシスタントの直属の上司にすぐさまメールが送られる。
会計上重い責任を負う事業体が、なぜ数百もある学部に毎日それほどの額を許容できるのか、疑問に思うかもしれない。しかし、これこそが小額調達権限(Low Value Purchase Authority)の裏にある原理なのだ。長たらしい名前のこの方針は単に、30億米ドルの予算を持つイソップ大学が各学部に、1つのベンダーから1日につき何でも必要なものを2,500米ドル強まで調達する権限を与えていることを意味する。
LVO(low value order, 小額発注)方針は、イソップ大学のような巨大組織がその中央調達部を日常的な単発注文で麻痺させることなく、より効率よく機能することを可能にしている。もちろん、これにはある程度のリスクが含まれるが、さもなければ遅れた支払いの山と信用を落とした一流大学が残されることになる。
イソップ大学の調達方針と自動化された防御装置は、大学によく貢献した。しかし、それはつかの間のことだった。
不正のデザイン (DESIGNING A FRAUD)
午前10時頃、それは横柄な家具屋からの電話から始まった。「家具屋」とも名乗らずに「スクワイア(Squire)の最高財務責任者(CFO, Chief Financial Officer)」だと自称するその男は、監査人と話したいとイソップ大学内部監査部の受付係に伝えた。不正を報告しなければならないと言うのだ。
受付の女性は、不審に思った電話は全てそうするように、その電話を私に転送した。私はイソップ大学監査部の25人いる監査専門家の1人である。州立大学群の12の大学の中で最も大きいイソップ大学には、この人数でこなせる以上の仕事があった。
我々の監査部は、医療や、私の場合には科学捜査(forensics)などの特殊な領域まで、大学の特定の分野に特化した部門から成っている。私を含めて6人がCFE(公認不正検査士)であり、私は調査担当の監査マネージャーを務めている。「会計上の不正行為の疑い」、もっと直接的な言い方をすると「盗みの疑い」を調べるのが私の仕事というわけだ。
私はいつものようにフルネームで内線の電話に出た。監査人に電話がつながり満足したCFO氏は、不正の報告をするために電話したと繰り返した。CFO氏は以前「8大」会計事務所の1つで監査人を務めていたため、不正と分かったのだと話した。
それからCFO氏は、スクワイアのロゴ入りの請求書No.5432のコピーを見ているのだと言った。2,664米ドルのその請求書は、「デザインおよびイラスト制作」の費用を請求するものだった。その請求書にはまた、イソップ大学の特集を載せた「バイソン・クォータリー(Bison Quarterly)」という当校のきらびやかな高級雑誌の1つの名も出てきた。
CFO氏はさらにこう続けた。請求書No.5432には、少し前に当校が同額でスクワイア宛に振り出した小切手が添えられていた。支払いを承認したフェアバンクスの署名は、判読できるどころか芸術的でさえあった。そして、請求および配送先の住所は、大学内の彼のオフィス宛になっていた。
「少しお待ちいただけますか。」私はCFO氏に言った。「こちらのシステム上でその請求書を探してみます。」MADシステムを使い、私はものの90秒で電子版の請求書No.5432をコンピュータ・スクリーンに映し出した。
「もしもし。」私は続けた。「確かに、請求書No.5432はコミュニケーション学部の通常の支出に見えますが。」しかし、と私はCFO氏に対して疑問を口にした。なぜ家具屋がその件について電話してきたのだろうか。
そして、爆弾は落とされた。
CFO氏によると、ローレンス・フェアバンクスが常連客であることはその横柄な家具屋の店員がすぐに気づいたが、彼の大学でのきらびやかな役職については知らず、また気にもしていなかったと言う。
また、大学の小切手に添えられていた請求書のコピーではバイソン・クォータリーの「デザインおよびイラスト制作」と説明されていたのに対し、スクワイアのコピーでは比類のない長椅子の製作が依頼されていた。予言的なことに、この椅子は、いや、この長椅子はシェークスピアの悲劇「ハムレット」の心を病んで死ぬ不運のヒロイン「オフェーリア」の名が付けられていた。
私は静かに高校時代の劇の台詞を思い出していたが、それはCFO氏の凍りつくような言葉にかき消された。
「いいかい、私は雑誌についてなど全く知らないんだよ。椅子は作ってしまって良いのかね。」
ファックスの語る真実 (JUST THE FAX)
私が1つ知っているとしたら、大きな銃は大きな弾痕を残すということだ。私は、ローレンス・フェアバンクスが放ったのは大砲だったと直感した。私はCFO氏に請求書No.5432に関する全ての資料をファックスしてほしいと頼んだ。数秒後には、私のオフィスから数メートルのところにあるコピー室からファックス機の音が聞こえてきた。
ファックストレイからまだ温かい紙を取り上げると、私はまずローレンス・フェアバンクスが大学の小切手に同封した方の、額面2,664米ドルの請求書No.5432をチェックした。そこには「バイソン・クォータリーのためのデザインおよびイラスト制作」と書かれていた。続けて2,400米ドルのLVOのコピーが届いた。差額264米ドルは売上税と送料分だ。
最後に、ファックス機が請求書No.5432のスクワイアのコピーを吐き出した。それはイソップ大学のコピーと似て見えた。2つのコピーのレイアウトは、全く同じだった。請求先の「イソップ大学コミュニケーション学部、ローレンス・フェアバンクス様」も同じだった。請求書の上部真ん中にある立体的な角張ったロゴまでもが一致していた。
しかし、注文の内容は違っていた。
家具屋のコピーの本文中には、「デザインおよびイラスト制作」の代わりに比類のない長椅子「オフェーリア」の製作について詳しく書かれていた。正確には、藤色・ダマスク織りと、布地と色について細かい指示が記されていた。さらに、椅子が出来上がったらローレンス・フェアバンクスに連絡するように、という注釈まで付いていた。
私は、この抱えきれないほどの問題を持ってフランク・アダムス監査部長のオフィスに直行したい衝動に駆られたが、ひとまず自分のオフィスへゆっくりと戻り、バナナを食べながらよく考えてみることにした。これは尊敬を集める大学職員の一度きりの無分別な行為なのか。それとも、現在進行中の企みの中のミスなのか。
私はマウスでアイコンをクリックしてMADに戻り、コミュニケーション学部のコードを入力した。同学部の予算は4百万米ドルだった。もし、他にも「スクワイア」型のケースが見つかるとすれば、注意深く掘り下げて行く必要があると思った。私はまず、元帳にコミュニケーション学部の出版関係の支出を示す4桁のコードを入力した。
取引の一覧が、コンピュータ・スクリーンに滝のように映し出された。画面をスクロールするうちに、ここ1、2年の支出の多くが2,500米ドルに1、2ドルだけ足りないくらいの額であることに気がついた。また、全く同じ額が同一のベンダーに支払われている「常連の」ケースも2ヶ月から半年の間に多数あった。金額が千ドル以下のことは滅多になく、また2,499米ドル以上のものは1つもなかった。
私は20件の支払いに関するデータを開いてみた。オンラインのLVOと請求書には、「デザインおよびイラスト」、「ストックフォト」、「オリジナルの芸術作品のリプリント」「印刷およびレイアウト」などの似通った表現が使われていた。それらは全て、イソップ大学の雑誌・広報・パンフレットなどに関するものと書かれていた。
次に、私はベンダーの住所を調べてみた。1社はサンフランシスコに、もう1社はニューヨークに、そしてもう1社はシカゴにあった。出版に関しては無知な私でさえ、これほどの量のデザインとイラストの作業が市外で行われることはどうもおかしいと感じた。私はリンカーン・フォトグラフィー(Lincoln Photography)というベンダーを選択した。理由は、サンフランシスコの住所だったため、それから同社からの小額範囲内の請求が連番で6件MADに表示されたためだ。
私は同社の住所をグーグル(Google)で検索した。予想どおり、見つかったのはストックショット屋のリンカーン・フォトグラフィーではなく、日の目を見ることなく悩み死にしたであろう芸術家らによる20世紀初頭のモノクロ写真の専門店、リンカーン・ギャラリー(Lincoln Galleries)だった。
そこでようやく、私はその悪い知らせを監査部長のフランクに伝えた。彼は私のCFO氏との電話、長椅子「オフェーリア」の請求書のファックス、市外の画廊への小額支払いに関する報告を聞いていた。終わるとフランクはののしりの言葉を発し、それをもって本格的調査の派手な幕開けとなった。
調査の主な目的は明らかだった。それはすなわち、偽の請求書を特定し、イソップ大学が被る損害の総額を算出し、大学警察および地方検察に証明するための証拠を収集することだった。
私は、以下の項目に該当する支払いを取り出すことから始めた。
- 1つのベンダーに対する1つ以上の支払い
- 2,500米ドル以下の支払い
- 連番の、もしくは番号の近い請求書
- 短い(one-word)ベンダー名
- 市外、国外、もしくは主要都市に住所をおくベンダー
- 市内の「芸術」地区に住所をおくベンダー
コミュニケーション学部自体が本来芸術関係のビジネスに携わる学部のため、初段階の検索では偽取引の中に本当は問題のないものまで含まれることが予想された。それでも私は、蛇の隠れている岩の上で浮かれ踊るようなことはしたくなかったのだ。
結局、3年間に渡る200のLVOと52のベンダーが特定された。私はこれらの件で支払われた大学の小切手の表と裏のコピーを入手した。
申し分のない小切手 (YOU CAN TAKE IT TO THE BANK)
コピーが舞い込み始め、私は小切手の裏書きのベンダー名を大学側の請求書に記載されているものと照合する作業に取り掛かった。不一致の中には、明白すぎて痛々しいものもあった。例えばニューヨーク市にある「レッドヒル出版(Redhill Publishing)」宛てにイソ ップ大学が振り出した小切手は、「レッドヒル古書店(Redhill Antiquarian Books)」が裏書きし入金していた。小切手に書かれている支払先の社名は、どれも「多少の」違いに気づかれにくい程度に実際の社名に近いものだった。結局のところ、ベンダーにとっては預けた金がきちんと入金されていることの方が重要なのだ。その点、イソップ大学の小切手は申し分なかった。
「用心は勇気の大半(Discretion is the better part of valor)」と言うが、調査を用心深く進めたのは、それが著名大学の有名人物の関わる事件が時期尚早に公になることを避ける唯一の手段だったからである。ごてごての紫椅子の請求書のような例が複数見つかるまでの初期段階において、フランクは本件に関して彼の上司および大学の顧問弁護士にのみ知らせることにした。
私に与えられた試練は、手の内を明らかにせずにベンダーから本物の請求書のコピーを郵送・ファックスしてもらうことだった。我々の代表番号にかかってきた電話は必ず「こちらはイソップ大学監査部です」という自動音声につながる。私は、監査部の一般的イメージを和らげる方法を考えついた。監査マネージャーのエレンから、可哀そうな臨時の薄記係のエリーへと改名したのだ。それはもちろん、「マタ・ハリ」の方がエキゾチックな偽名ではあるが、エリーの方が覚えやすかった。
エレン・A・フィッシャー氏(CFE、CIA)
米国の大きな大学にて監査マネージャーを務める
1 有罪者・無罪者ともに守るために、人物・場所・物の名称は全て変えてある。