日時:2021年6月21日(月)~23日(水)
場所:オンライン開催
2020年に世界を駆け巡った巨大スクープ、ワイヤーカードの会計不正に関する一連の報道は、英フィナンシャルタイムズ(FT)のMcCrum記者の手によるものだ。McCrum氏はワイヤーカードの脅しに屈服することなく、6年に及ぶ調査報道の末、ワイヤーカードの巨額会計不正を暴いた。同社はフランクフルト市場に上場しフィンテック企業の雄と目されていたが「19億ユーロ(約2300億円)の現金資産が行方不明」と発表し株価は暴落、経営破綻に追い込まれた。幹部が次々と逮捕されたが、主犯格の一人で同社のCOOだったJan Marsalek容疑者はドイツ国外に逃亡したとみられ、国際手配されている。ワイヤーカードの会計監査を担っていたEYは会計不正を見抜くどころか、長年にわたって同社の経営に“お墨付き”を与えており、監査のあり方についても大きな議論を呼んだ。ACFEはMcCrum氏の功績を称え、本年ガーディアン賞を授与している。
McCrum氏はロンドンにある自宅の一室から基調講演を行った。部屋の壁には現在も逃亡中のMarsalek容疑者の手配写真が貼られている。「ドイツ当局は1年半もの間、私に対して相場操縦しているのではないかと疑いの目を向けていました」と振り返った。
「ワイヤーカードは時価総額300億ドルと、当時ドイツ最大のドイツ銀行よりも価値のある企業でした。ソフトウエア企業や金融企業を買収し、ドイツ経済を改革すると期待されていました。しかしCEOのMarkus Braunは刑務所に送られました。成長物語に嘘があったのです」
「2014年、オーストラリアのヘッジファンドマネージャーが私に『ドイツのギャング企業に興味はある?』と尋ねてきました。私は、『もちろん興味あるよ! 面白そうだね!』と答えました」とMcCrum氏は、初めてワイヤーカードの名前を聞いた日のことを振り返った。「彼は私に、アジアにおける児童ポルノの実態を教えてくれました。彼の知る限りでは、バカンスを利用してアジアに児童買春に行くツアービジネスの決済業務を行っているのがドイツ・ミュンヘン郊外にある小さな会社、ワイヤーカードだということでした」。ヘッジファンドマネージャーは、過去に同社について調べようとした人が危険な目に遭ったことも教えてくれたという。しかしMcCrum氏は、同社に関心を持ち調べてみようと決意した。
「最初の疑問は、ワイヤーカードとはどんな会社なのか? ということでした。ワイヤーカードはクレジットカードの決済処理業務を行う会社でした。それ自体はまっとうな事業です。しかしワイヤーカードには他社とは違う点がありました。極めて標準的なビジネスモデルなのにものすごい速さで成長していました。それから奇妙な複合事業モデルを掲げていました。事業の実態をつかむのが非常に困難でした」
McCrum氏はマネーロンダリングやオンラインの違法行為ではなさそうだと考え、別のヘッジファンドマネージャー数人にその話をしたところ、彼らの見立ては少し異なるものだった。
「『ワイヤーカードの収益額は正しく計算されていない。同社はグローバルでは数十億ドル成長しているように見え、一方でアジアの小さな決済処理業者を買収している。巨額の収益を出しているようにみえるが、よくみると一致しない。何度分析しなおしても一致しないんだ』と言うのです。私は大きなスクープ記事を書けるだろうと感じました」。しかし同時に、この取材は困難を極めるだろうことも予想したといいます。さらに、イギリス国内ではきちんとした証拠がないのに「Fraud(不正、詐欺)」という単語を使うと罰せられるため、McCrum氏とFTは慎重にならざるを得ませんでした。
FTが初めてワイヤーカードの会計不正疑惑を報じたのは2015年だったが、翌年に匿名でTwitterに投稿されたZATARRA reportをきっかけにワイヤーカードをめぐる情勢は混とんとしていく。ZATARRA report の内容は、ワイヤーカードがマネーロンダリングを行っていると主張するものだった。一方ドイツ当局やドイツ国内の世論は、ただの悪質な空売り業者の仕業だと考えていた、とMcCrum氏は言う。FTにはワイヤーカードに関する報道を訴えるという内容の法廷書簡が山のように届き始めた。
ある日、McCrum氏の情報提供者の一人が「ワイヤーカードに関する報道について一言言いたいという人物がいる。彼はワイヤーカードのCOOだ」と連絡してきたという。「大変奇妙に感じました。なぜなら彼は私の最も重要で秘密にしている情報提供者なのに、ワイヤーカードはどうやってそれを突き止めたのか? Marsalekが直接連絡してこない点も不自然でした」と当時を振り返った。
さらにMcCrum氏のメールアカウントがハッキングされたことが明らかになる。「明らかに脅しだと思いました。ワイヤーカードのハッカーは私のメールだけではなく、私の情報提供者やヘッジファンドマネージャーもハッキングしたとみられることがわかりました。その時我々は、対峙している相手を過小評価していたと理解したのです。それからノートPCなど全ての電子機器を交換しセキュリティーについて検討しなおさなければなりませんでした」。McCrum氏は空売りの疑いを晴らすためにFTの内部監査の対象となり、全てのEメールを開示させられたという。
ドイツ当局は相場操縦の疑いでZATARRA reportの執筆者を調査するのではなく、McCrum氏とFTに疑いの目を向け続けてきたが、McCrum氏らは取材を続けていた。一方ワイヤーカードの株価はドイツ経済の期待を一身に受けて上がり続けていたが、事業の全貌ははっきりしなかったという。「フィンテックというIT技術の時代が到来していましたので、投資家はワイヤーカードの主張する成長戦略を真に受けてしまいました。まもなくワイヤーカードはコメルツ銀行にかわってドイツ株価指数の銘柄に組み入れられ、Braunは億万長者になり、ワイヤーカードは順調に成長しているように見えました」
しかし、情勢を一変させるような情報がMcCrum氏らにもたらされた。内部告発者が現れたのである。「内部告発者はシンガポールにいました。シンガポールにはワイヤーカードのアジア地域の本社がありました。内部告発者の話は奇妙なものでした。会計帳簿を改ざんしたと疑いをかけられている人物がいると言うのです。極めてお粗末な方法で書類やインボイスが改ざんされていました。インボイスの中のロゴをコピペして、顧客欄が空欄のインボイスを作成していました。明らかに偽造でしたが売上額は少額でした」。この内部告発者は当初内部通報をし、ワイヤーカードが調査していたが後に握りつぶされたという。「それでも我々は状況が打破できるきっかけになると考えました。なぜなら初めてワイヤーカードの内部が明らかになったからです」
それから3カ月、McCrum氏はインドやシンガポールの支社も含めてワイヤーカードの会計書類を徹底的に調べた。スマホでの通話が盗聴されることも考え、警戒しながらの作業だった。「ワイヤーカードの経営陣は金の流れをごまかし書類を偽造している、という記事を書ける段階になりましたが、もっと深刻な問題は世界や特にドイツ当局がこの話を真剣に捉えるかどうかでした」
2019年1月にMcCrum氏がシンガポールにおける会計不正の記事を発表すると、匿名のツイッターアカウントがMcCrum氏を非難し始めたという。「匿名のアカウントは、私を犯罪者呼ばわりし相場操縦していると非難する投稿を始めました。またワイヤーカードは当然のように私の記事の内容について否定しました。驚いたことに、ドイツのコメルツ銀行まで私を非難し始めたのです。コメルツ銀行の株式アナリストが、『フェイクニュースだろう。連続加害者のDan McCrumだ』と表明したのです。私は驚愕しました。コメルツ銀行は後に私に謝罪しアナリストの発言を撤回しましたがダメージは残りましたし、ワイヤーカードは私について相場操縦を目論む犯罪者だと吹聴していました」
世間の逆風にもめげずに取材を続けていたMcCrum氏とFTだが、ついに動かぬ証拠を見つける。「シンガポール支局の記者がフィリピンに飛び、ワイヤーカードの主要顧客を何社か訪問しました。HPには『あなたのビジネスに最適なペイメント・ソリューションを』と書いてあるのに、その決済処理業者の所在地を訪問すると、そこは引退した漁師とその家族の住宅でした。庭先で飼い犬の毛の手入れをしていた彼らは、誰も決済処理業者のことなど知りませんでした」
シンガポール当局はワイヤーカードのシンガポールオフィスの家宅捜索に入り、書類を押収して関係者の事情聴取を始めたが、ドイツ国内の犯罪ではないとしてドイツ当局の動きは鈍いままだった。「Bafin(ドイツ連邦金融監督庁)がワイヤーカード株の空売りを禁止したものの、ミュンヘン検察は、私や同僚について相場操縦の疑いで捜査していると発表する始末でした。ドイツ当局は想像力が大きく欠如していたと思います」とMcCrum氏は当時のドイツ当局の対応に疑問を投げかけた。
「私は、実際の活動ではなく会計書類の数字を集中的に調べることにしました。なぜ会社の幹部が長期にわたって、少額の金を移動させるために偽の契約を続けるのでしょうか。しかし監査法人であるEYはワイヤーカードの監査書類に署名しました。さらにソフトバンクがワイヤーカードに数億ドル投資することを明らかにしました」。ソフトバンクによるワイヤーカードへの投資発表の数カ月後に会計不正報道が白熱し、ソフトバンクの投資先選定眼を誰もが残念に思ったのは記憶に新しい。
ワイヤーカードによるMcCrum氏らへの反撃はさらに激しさを増していく。McCrum氏は男が望遠鏡のようなものを手に立っている写真を示した。「これは、我々が初めて会計不正を報じた翌日に撮影された写真です。FTの本社はガラス張りでテムズ川に面しているのですが、この男は川の反対側に現れ、レーザーマイクロフォンを使って会議室を盗聴しようとしているようでした。我々はワイヤーカードが我々の情報提供者を割り出すために大掛かりな作戦に打って出たと考えました。ワイヤーカードは28人もの私立探偵を雇っていたのです」
こうした中、McCrum氏は遂にワイヤーカードの会計不正の決定的な証拠を見つけ出す。それはワイヤーカードから監査法人のEYに提出された資料で、エクセルで作成された顧客リストだった。「少数の顧客から巨額の売上がたっているように見えました。リスト内の一社について調べてみると、イスラエルの金融企業Banc de Binaryが活動停止したために取引できなくなった会社でした。Banc de Binaryは悪質な通貨取引業者で、アメリカ政府により閉鎖させられた企業です。さらにほかの会社についても調べました。その結果この顧客リストは全て偽造だということがわかったのです。これを報道すればゲームオーバーになると確信しました」
しかしワイヤーカードは反撃に出た。顧客リストは「FTによる捏造だ」としたうえで、ある音声テープを送って来たという。その内容は、ナイトクラブのオーナーとワイヤーカードが雇ったとみられるエージェントが、FTが数日のうちにスクープ記事を出すだろうと話している内容だった。「我々はそれをはったりだと考えましたが、ワイヤーカードは同じテープをドイツメディアにも送り付け、彼らは真に受けて一斉に報じました」とMcCrum氏は当時の状況を振り返った。
「私の上司は『我々が相手にしているのは犯罪者集団だ。前に進むべきだ』と言いました。我々は2019年1月に出した記事に立ち返り、『ワイヤーカードの売上は粉飾されているようだ。ワイヤーカードが公表している書類も改ざんされている』という報道を続けました」
ワイヤーカードは「FTが報道したワイヤーカードの内部資料は偽物だ」という声明を発表したうえで、時間稼ぎともいえる手段に打って出る。2019年10月、会計処理に問題がないことを示すため、KPMGに特別監査を依頼したのだ。ところがこの監査がワイヤーカード崩壊のきっかけになる。
2020年4月、KPMGは2016~2018年のワイヤーカードの収益について大部分が確認できなかったとの特別監査報告を発表した。その理由はワイヤーカードから必要な書類が提出されなかったためとした。一方ワイヤーカードCEOのBraunは「今朝、2019年度の監査は問題なく終了するだろうとEYから連絡を受けた」と発表したがワイヤーカード株の暴落は止まらなかった。そして同年6月16日、フィリピンにある銀行2行が「ワイヤーカードからEYに提出された19億ユーロ(約2200億円)の預金証明は偽物だ。うちには預けられていない」と明らかにした。
「ワイヤーカード崩壊までにはそこからまだ数日かかりました。Bafinはその時点でも空売り業者がいると考えていました。17日になり、私はドイツにいる同僚とオンラインでつなぎ、笑いながらドイツ市場の取引開始を待ちましたが、その日は何も起こりませんでした。次の記事を書こうか考えていた矢先の18日、ワイヤーカードは『19億ユーロの現金が行方不明だ』と発表したのです」とMcCrum氏は勝利の瞬間を振り返った。「キッチンに行き小さくビクトリーランをせずにはいられませんでした」。それから間もなくCEOのBraunを始め幹部数人が逮捕された。COOのMarsalekはベラルーシ行きの航空機に搭乗するのが目撃されたのを最後に消息を絶っており、国際手配されている。
講演の最後にMcCrum氏は、ワイヤーカードが会計不正していると疑うきっかけになったレッドフラッグを紹介した。
「ワイヤーカードは財務諸表上では毎年多額の収益を上げていましたが、キャッシュフローはほとんどありませんでした。現金は偽の受託者に送金されていました。収益の高さを見せつけるために財務指標を調整していました。こうした情報は業界誌でも報じられていませんでした。ずっと実態がわからないブラックボックスだったのです。結局のところワイヤーカードの不正は、真実であるには良すぎたのです」
McCrum氏は現在ワイヤーカードに関する本を執筆しているほか、ドキュメンタリーも撮影する予定だという。また逃亡中のMarsalekの手配写真を示して「もしこの男を見かけたら、私やFTのTwitterに情報提供してほしい」と笑顔で講演を結んだ。